2013年05月02日 12:16
スマートフォンを使うようになってから、もとからのネット中毒に拍車がかかって、通勤電車、昼休みなどのちょっとした時間はネットを見たり、しょうもない発言をしたりするようになっておりました。Twitterを5分おきにチェックしながら、「全然発言がなくて退屈……みんなもっとがんばってよ!」などとボヤきながら、何度も読んだ過去のツイートを読み返したりする有様。冷静に考えてみて、5分おきという頻度で見ているから発言がないように感じられるだけであって、たとえば、5時間おきや、1日1回という頻度であれば、多すぎて読みきれないほど未読のツイートがたまるはずなのです。スマートフォンは、一見するとテキストを読んでいるように見えますが、実際は作業をしている時間が長い。画面をタップしたり、更新を確認するためスクロールさせたり、「いいね!」しようかどうか迷ったり、一度読んだはずのテキストをもう一度読んで、「ああ、これ前に読んだな~」などと思ったりです。
スマートフォンをあまりいじらないようにしなければ廃人になってしまう……と思い、鞄の奥の方に入れてみたりしたのですが、鞄の底にたまっている砂のようなもの(砂を入れた経験は一度もないというのに、鞄って、なぜあんなに砂が入ってしまうのでしょう?)と和えられてザラザラになったスマートフォンを取り出して使うだけで、使用時間が減る気配がありません。試行錯誤しているうちに数か月経ったある日、意志の力でスマートフォンと決別するのはもはや無理であると悟り、スマートフォンは家に置いておき、持ち歩くのは昔の携帯電話、いわゆるガラパゴスケータイにしたら、想像していた以上に生活に改善が見られたので、報告させていただきます。
一度スマートフォンを経験すると、スマートでない電話の使いにくさに苛立って使わなくなる
理論的には、スマートでないフォンでも、およそスマートフォンと同じように使えます。FacebookもTwitterもOKのはずなのですが、あまりの使いにくさにやる気が失せてしまいます。スマートフォンを使う前は、折りたたみ式の携帯電話を何度も開けて見ていたはずなのですが、スマートフォンのなかった時代の感覚には戻れないようです。この「使いにくさ」が、われわれを冷静にしてくれるようなのです。
よく眠れてよく読書できるようになった
「単に使いにくい電話にした」というだけで、これだけのメリットがありました。
(1)よく眠れるようになった
寝る前に枕元にスマートフォンを置いていると、ついつい無駄にいじってしまって眼が冴えてしまったりしていたのですが、スマートではない電話だと、メールなどの着信がない限りはいじることがないので、雑念に囚われることなくぐっすり眠ることができます。
(2)読書量が飛躍的に増えた
スマートフォンによって、常に何かを読んでいたいという需要が発生していたのですが、スマートフォンを持ち歩かなくなって、その受け皿は書籍になりました。改めて読書習慣ができてしまうと、Twitterで、誰が起きたとか何を食べたなどの情報や、果てしなくループするばかりで深まることのない議論などをわざわざ読んでいた過去の自分に驚きました。友だちが暇つぶしに書いている、何を食べたかの話よりも、明治期の文豪がニーチェをどう受容していたのかの話の方が興味深いですし……。
一度読書の習慣がついてしまうと、ネットを見たいという気持ちもあまり発生しなくなりました。書籍は、Twitterやfacebookの気軽な投稿とは違い、幾度もの企画会議を経て出版が決まり、推敲も何度もされた文章なので、当然ですが質が高いのです。しかも半日Twitterやfacebookを見なくても何も困らないという、これまた当然の事実に気づきました。
ただ、1日スマートフォンをそばに置いていると、たちまち昔の脳内暗黒時代の自分に戻ってしまうので、継続してスマートフォンから離れておくに越したことはないと思います。
(3)周囲がよく見えるようになった
読書だけでなく、音楽を聞いているときも、スマートフォンをいじりながら音楽を聞くのと、単体で音楽を聞くのでは、聞こえてくる音の密度が全然違います。スマートフォンを使いながら聞いていたときには聞こえなかった音が聞こえてくるようになったのは驚きでした。また、歩行中も、まわりを見ながら歩くので、咲いている花、珍妙なオッサンなど、街の風景と出会うことができるようになりました。しかも、スマートフォンを持っていたときは、何かを見たらすぐツイートしていたのですが、スマートフォンがなければ、無駄口を叩く機会が大幅に減りました。
お出かけなどで地図を使う機会があったときなどは、スマートフォンが便利なので、週末誰かとお出かけするとき限定でスマートフォンを持ち出していますが、そのとき以外、通勤時や、喫茶店で読書をするときなどはスマートでないフォンを使っています。お出かけする相手はたいていスマートフォンを持っているので、地図はその人に見せてもらえば、スマートフォンは解約してもそんなに不便でないのかもと思っています。
つらいのは最初の一週間だけ、それを超えたら正気に戻れる
スマートでないフォンを持ち歩くようになってからしばらくの間は、家に帰ったら貪るようにネットを見ていました。人気記事や、知人のツイートやら日記やら、読むべきコンテンツがたまっていたのですが、まず、人の書いたものに反応する時間がないので、ざっと読み流すだけになってくると、かなり時間の節約になります。そして、読むのにも、優先順位をつけて読む癖がついてきました。それまで「明日から博多に行くけど、誰かおいしいラーメン屋教えて~☆」などと書いている、読み物としては価値のないツイートまでも律儀に読んでいたのですから、そりゃあ時間がなんぼあっても足りないはずです。5分ごとにコンテンツが新しくなると、内容の如何を問わず、全部読んでしまうのですが、1日分のコンテンツを一挙に見るとなると、自然にその中から読むべき価値のあるものに絞って読もうという気持ちになります。そして、その読むべき価値のある記事よりも、書籍の方が面白い場合が多いため、結局、家に帰ってからも本の続きを読むようになってきたのです。
ネット中毒の治療には、「心がけ」ではなく物理的なハードルが必要
正気にかえった今となっては、なんであんなにネットに夢中だったんだろうと思えてしまいます。
暇で暇でしょうがないという人にはスマートフォンはいいかもしれませんが、何かやりたいと思っていることがあるのに、ダラダラとネットを見てしまうという人には、単に心がけというレベルではなく、このように物理的なハードルを設けるなどして対処するのがいいようです。
通話とメールに特化した携帯電話こそが真の意味でのフューチャーフォン
参考までに、わたしが使っているのはらくらくホン(正確には「らくらくホンベーシック3」)です。この電話は本当によくできています。開発した人はおそらくこういう用途は想定していないでしょうけれど、「ネットを使う機会を最小限にする仕組み」が実装されています。
モダニズムの極み、らくらくホンベーシック3
らくらくホンをあけるとションボリ気分になれる
上の写真を見たら、なんとなくご理解いただけたのではないかと思いますが、この端末の優れている点を挙げていきますと、
・「閉じているときだけ」すぐれたデザイン
「らくらくホン」と聞くと、モッサリした高齢者向けのデザインかと思ったのですが、このモデルは閉じているときのデザインは洗練されています。昔のSF映画に出てきそうなデザインです。その一方で、開けると大きな字でいろいろ書いていてちょっと恥ずかしい。つまり、高齢者以外はあまり開けたい気分にならない携帯電話です。
・無駄に開ける必要がない
背面に白黒液晶を使っていて、常に時間とメールや通話の有無が表示されていて、スマートフォンみたいにロックを解除したりしなくてもいいので、閉じた状態ですべて確認できるので、めったに開けなくてすみ、「新着メールのチェックのついでにネットサーフィンして気づいたらいい時間になっていた」などという事故は起こりません。背面液晶のフォントが無骨でかっこいいです。
・読む気が失せる画面
字も高齢者向けに大きくなっていて、1画面あたりの情報が少なく、ずっと見ていたいという気持ちには到底なりません。画面の解像度も低いです。壁紙に好みのものを設定することはもちろんできますが、わたしは開けたい気持ちにならないよう、まったくの白紙を壁紙にしています。
・通話とメールはスマートフォンより使いやすい
よく連絡する相手には物理的にキーを振ることができるのですが、大変わかりやすいです。一部のAndoroid機で、電話やメールのアプリが立ち上がるのが遅くてイライラしたり、ショートカットを間違えて押したりしていましたが、らくらくホンなら端末を開けてボタンを2回押せばミスなく電話することができます。
・ちなみにLINEも使える
スマートフォンほどの使いやすさではないのですが、LINEも使うことができるので、LINE八分になることもありません。
―感動のあまり、らくらくホンの宣伝のようになってしまいましたが、この端末、本来の高齢者にわかりやすい、という端末としてでななく、脱スマートフォンの最右翼の端末として評価されてもよいのではないかと思います。
いま、最新機種はスマートフォンばかりになっていて、脱スマートフォンの端末探しは少々難しいかもしれません。しかし今後、スマートフォンの誘惑を断ち切りたい人向けの端末の需要が出てくるかもしれませんね。